聖書ヘブライ語から現代ヘブライ語へ

現代ヘブライ語の歴史的概要

アダ・タガー・コヘン(同志社大学教授)

杉村裕実 (訳)

高尾賢一郎 (編)

はじめに

 現代ヘブライ語はその単語や文法を何千年もの歴史の中で積み重ねてきた、地層のような言語です。もともとイスラエルの地の話し言葉であり書き言葉であったその言語は、ユダヤ人の離散とともに世界中に広がり、ついには話し言葉として復興しました。今日、現代ヘブライ語はイスラエル国家の主要言語であり、アラビア語とともに同国の公用語となっています。およそ700万の人々が現代ヘブライ語を話し、そのほとんどはイスラエルの人々ですが、海外のユダヤ教徒やイスラエル人共同体の中でも幾らか話されています。ヘブライ語はそもそも聖書の主要言語でしたが、後にそれは礼拝や学問のために用いられ、19世紀以降は日常生活や非宗教的な書物の言語として復興しました。

聖書ヘブライ語

 ヘブライ語にはおよそ3200年以上の歴史があり、現存する最古のヘブライ語碑文は紀元前千年紀の始めのものです。ヘブライ語は「北西セム語」と呼ばれる語族に属し、通常「カナンの地」(現在のイスラエル、レバノン)の名に因んで、カナン諸語の一つとされます。またアモン語やモアブ語、エドム語といった同じ地域の他の言語とも類似しており、その後はアラム語の影響も受けました(聖書時代やそれ以前におけるヘブライ語の歴史についての詳しい記述は以下参照:Sanz-Badillos, A., A History of the Hebrew Language. Cambridge: 1993 transl. John Elwolde., pp. 29-75, 特にpp. 54-56. 近年では考古学の発見や言語学の評価を受け、古代ヘブライ語をアラム語、モアブ語、アモン語などと関係のある語族に属する、トランス・ヨルダン語だとするAnson Raineyの説もあります。以下にBAR (Biblical Archaeology Review) 2006からの彼の文章を引用します。

 ヘブライ語はカナン語ではなくトランス・ヨルダン語である。
             ・・・(中略)・・・ 
 Gary Rendsburgはヘブライ語、アラム語、モアブ語がそれぞれ「ある」という動詞に特徴を持つとする。その語根はHWY或いはHYYであり、その動詞はフェニキア語(カナン語)にもウガリット語にもない。それらの地中海沿岸の言語は「ある」という動詞に関して全く異なった言葉をそれぞれ持っており、更に言えばイスラエルの神の名、ヤハウェは「ある」という動詞から来ている。このことは、古代ヘブライ語と東ヨルダン諸語との強い関係を反映しており、イスラエルの起源に至る鍵となる。
(http://www.bib-arch.org/bswb_BAR/Rainey/bswbRaineyMainPage.asp)

 レイニーの説によると、ヘブライ語の起源はトランス・ヨルダンにあり、アラム語を話す部族とともに、聖書の創世記24章10節、25章20節、28章5節、そして31章20節以降に詳しく述べられています。他の多くの言語と同様、ヘブライ語にも多様な方言があったようで、聖書ヘブライ語と見なされている主な二つの方言はイスラエル王国とユダ王国のものですが、両者の区別については依然として議論中です(例えばB. K. Walyke and M/ O’Connor, An Introduction to Biblical Hebrew Syntax. Winona Lake: 1990, pp.59-60.)。我々はヘブライ語に関する知識のほとんどを旧約聖書や、考古学調査で発掘される碑文から得ています。碑文はとても小さなものですが、しかし私たちに絶えず情報を与え続けます(Graham I. Davies, Ancient Hebrew Inscriptions: Corpus and Concordance 1, 2 vols. Cambridge: 1991, 2004;F. W. Dobbs-Allsopp et.al., Hebrew Inscriptions: Texts from the Biblical Period of the Monarchy with Concordance. Yale University: 2005;また Shmuel Ahituv, Haketav Vehamiktav: Handbook of Ancient Inscriptions from the land of Israel. Jerusalem: 2005)。

聖書ヘブライ語からラビ・ヘブライ語へ

 ヘブライ語の発展の歴史的段階は通常、聖書(古典)ヘブライ語、ラビ(ミシュナー)・ヘブライ語、中世ヘブライ語、現代ヘブライ語(現代イスラエルのヘブライ語)に分類されます。

 聖書ヘブライ語はヘブライ語の中核です。聖典を頼りに、その言語は長きに渡って護られてきました。時代や場所によって異なった聖典書物が残されていますが、それらは本質的に同じであり、そこに見られる違いも些細なものです。その理由はミシュナー期(紀元2世紀)から書記の地位が確立されたことにあります。書記には聖典を写し教える責任がありましたが、タルムード期の終わりには、聖典文書の写本に関する規則や規制が明確なものとなり、書記は専門の写字生となったのです。ラビ・ヘブライ語の時代になると、聖書ヘブライ語に新たな語彙や用法が加えられ、特に学問目的でその言語は発展し、使われ続けました(この時代のより詳しい記述は以下を参照:Saenz-Badillos, A., A History of the Hebrew Language. Cambridge: 1993 transl. John Elwolde. pp. 161-201.)。

 紀元前4-2世紀の間に、かつてイスラエルの地に住んでいた人たちは徐々にヘブライ語以外の言語、主にアラム語とギリシア語を用いるようになりました。ディアスポラの身であったユダヤ人はもはや日常生活でヘブライ語を用いることはなく、聖書もギリシア語とアラム語への翻訳を迫られました。紀元2世紀頃からヘブライ語は主に聖典の言語となり、学識のある人や祈祷の為に用いられるものとなったのです。

中世ヘブライ語

 次にヘブライ語は中世で発展しました。紀元7世紀頃から15世紀にかけて、ヘブライ語はイスラム教徒とキリスト教徒という二つの主たる共同体のユダヤ人によって用いられました。西アジアや中央アジア、北アフリカやスペインを統治していたイスラム教の下、ユダヤ人共同体はアラビア語圏で生活をしていました。一方ヨーロッパのキリスト教の下では、ユダヤ人共同体はドイツ語やフランス語、ラテン語やイタリア語などのインド・ヨーロッパ語族の影響を受けていました。この時期、ヘブライ語はアラビア語文法に影響を受け、主にイスラム教の下で大きな発展を遂げることになりました。10世紀から13世紀の間は、ヘブライ語文学(特に世俗的な詩、宗教的な詩)と哲学が主にスペインのユダヤ人共同体において栄えました。他のヨーロッパの共同体においても、ヘブライ語は学問目的で用いられはしましたが、日常生活では用いられませんでした。
 興味深いのはピユート(パイタニーム;詩歌)のヘブライ語です。東洋(ミズラヒー;北アフリカや中東諸国)で用いられていたこの言語は、ラビ・ヘブライ語時代のイスラエルで話されていたヘブライ語の流れを汲みながらも、全く新しいものでした。ピユートは共同体での生活に関する歌ですが、聖典のミドラシュ(解釈)の一種でもあり、シナゴーグの中で歌われていました(ピユートについてはhttp://www.piyut.org.il/about/english/ を、この時代についてはChomsky, W., Hebrew: The Eternal language. JPS: 1978, 172-178.を参照)。
 ヘブライ語はその後1900年に渡り、神聖なものとして護られてきました。護ってきたのは、今日ユダヤ人と呼ばれ、自らを聖書に描かれている古代イスラエル人の子孫と認める人々である。ユダヤ人学者が宗教の注解書や法の判決書、また哲学や言語学、数学や詩などの分野においてもヘブライ語を用い続けたので、ヘブライ語は死に絶えることがなかったのです。

ハスカラーのヘブライ語

 ヘブライ語の次の発展は18世紀の始めにヨーロッパで起こりました。その時代はヘブライ語でハスカラー(啓蒙)期と呼ばれています。これは現代ヘブライ語文学のルネサンスであり、17-18世紀には新しい現代小説や詩歌がヘブライ語で書かれるようになりました。初めてのヘブライ語の新聞Ha-Me’assefが1809年に誕生し、長い間古い文書の中で凍結していた言語に新しい形式や語彙を与え、ハスカラーの(啓蒙された)現代ユダヤ人がヘブライ語でユダヤ人に関する問題を書くための扉が開かれたのです。モーゼス・メンデルスゾーンやナフタリ・ヘルツのような当時の作家は、聖書の形式に新しい語彙を加えて、美しいヘブライ語を書き残しました。ユダヤ人の心を豊かにすることを目指したユダヤ人学者たちが多くの本を翻訳して、万国の知識をヘブライ語で伝えたのです。その結果、それまでのヘブライ語に存在しない新しい語彙を創り出す必要性が生まれました。また学者たちは、聖書ヘブライ語やラビ・ヘブライ語、中世ヘブライ語を同じ文書の中で併用するようになりました。これらの変化は19世紀と20世紀の現代ヘブライ語復興につながっていきます。

現代ヘブライ語

 19世紀のヨーロッパ、主に東ヨーロッパの国々のユダヤ人はヘブライ語に対して新しいアプローチをとります。19世紀始めから中頃にかけてヨーロッパで起こった民族主義的な新しい政治志向は、民族のアイデンティティーに関する強い感情を生みました。ヨーロッパ中の若くて教養のあるユダヤ人もこれに影響を受け、ユダヤ民族の(宗教的な意味に限らない)アイデンティティーを求めるユダヤ人組織が設立されることになりました。最も重要で影響力があったのはテオドール・ヘルツルによって1897年に公式に発起されたシオニスト運動です。この運動は古代の祖国イスラエル(その時はパレスチナと呼ばれていた)へのユダヤ人の帰還を求めるものでした。人々はその土地にユダヤ人国家を再建し、彼らの伝統や慣習、アイデンティティーが脅威にさらされることなく守れるようになることを求めました。そのためには、ユダヤ人の国語としてのヘブライ語の復興は重要なことだったのです。ユダヤ教は民族と宗教の両方をユダヤ人のアイデンティティーとするので、ユダヤ人が国家の再建を考えることは、ユダヤ人に対する憎しみと暴力の歴史が長かったヨーロッパにおいては特に自然なことでした。古代ヘブライ語はユダヤ人のアイデンティティーとして明確な、共通項でした。この言語は全てのユダヤ人共同体で用いられ続け、今では宗教的というよりも民族的アイデンティティーを形成する不可欠な要素となっています。
 Eliezer Ben-Yehudaはその業績の中で、現代ヘブライ語の発展の新時代を示しました。彼は日常でのヘブライ語の使用を、イスラエルの地におけるユダヤ人の独立した生活を可能にする必須の手段と捉えました。19世紀の終わりから20世紀の始めにかけて、ヘブライ語によるユダヤ文化の中心地はオスマン帝国下にあり、後にイギリス統治下となるパレスチナへ移りました。ベン・イェフダーは、ヘブライ語を共有するユダヤ人アイデンティティーの復興を目指してパレスチナへ移住した多くのユダヤ人知識人の中の一人でした。彼は1881年に入国し、1890年にはヘブライ語の新しい語彙や構文の形成促進のための学者の集まりであるVa’ad ha-Lashon(「言語委員会」)が設立されました。彼らの多くは、日常生活で話される言語としてのヘブライ語復興の初期段階においては、言語を話したり書いたりするための手引きや規則が必要だと信じていました。しかし現代ヘブライ語は規則に関係なく自然に発展し、生きた言語として急速に育っていきました。Haim Rosenが1955年に“Ha-Ivrit Shellanu”で述べているように、現代イスラエルのヘブライ語はインド・ヨーロッパ語族の中から幾つかの構文を、移民がイスラエルに持ち込んだ言語の中から語彙を借りて、新しい形を持ったのです。 Saenz-Badillosは以下のように述べています。「ヘブライ語の内的発展の基礎には、非ヘブライ語の影響がある。また古典時代と比べると、現代ヘブライ語は膨大な数の聖典や典礼のヘブライ語と過剰な接点は持っていない。公式な規則や教育はあるが、一般の人々は自分たちの規則にただ従っているのである」。つまりヘブライ語は「現代イスラエル・ヘブライ語」という新しい段階に入ったのです。それは生きた言語、成長する言語であり、新聞やテレビ、文学で用いられています(現代イスラエル・ヘブライ語の概要については以下を参照:Saenz-Badillos, ibid, pp.272-286.)。 よく現代ヘブライ語を学ぶ学生は「どちらの発音が正しいの?」と尋ねます。その答えは「どちらも正しい」です。多くの移民が異なる国々からイスラエルにやって来て、それぞれが母国語の発音を持ち込むため、発音は場所と時間によって決められ、変わり続けるのです。

ヘブライ語の時代区分

  • 聖書ヘブライ語
    1)捕囚前期
    2)捕囚後期(=第二神殿時代)紀元前1200年から紀元100年
  • ラビ・ヘブライ語(ミシュナとタルムードを含む)
    紀元100年から800年
  • 中世ヘブライ語
    (ヨーロッパとイスラム支配下にある北アフリカとアジアにおいて)800年から1600年
  • 現代ヘブライ語
    (中央・東ヨーロッパで始まり、イスラエルへ移動)
    1700年から今日まで

略歴

  • 「北西セム語」と呼ばれる語族に属するセム語である。
  • ヘブライ語はアモン、モアブ、エドムの言語、また同地域における他の言語とも類似している。聖書ヘブライ語からうかがえる二つの主要方言は北のイスラエルと南のユダ、二つの王国のものであるが、両者の区別に関しては今なお調査中である。
  • 紀元前2世紀頃、聖書をギリシア語やアラム語といった他の言語に翻訳する必要性が生じた。 -紀元1世紀より、ヘブライ語は知識人の使用や祈祷のための聖典の言語となった。
  • 書記は聖典の写本を請け負っており、タルムード時代の終わりにはその写本の規則や規制が確立し、書記は専門の写字生となった。
  • 紀元7世紀頃から15世紀にかけて、イスラム教徒とキリスト教徒、二つの主要な共同体の中で生活するユダヤ人によってヘブライ語は用いられた。イスラム教の下でヘブライ語は偉大な発展を遂げ、スペインのアンダルシアにおける発展は最も重要である。そこにおいてヘブライ語は詩歌の影響を強く受け、聖なる言語を用いながら、スペインのユダヤ人は非宗教的な詩歌を残した。
  • 18世紀のヨーロッパはヘブライ語のHaskalah(啓蒙)期であり、現代ヘブライ語文学のルネッサンス期である。新しい現代小説や詩歌がこの17-18世紀の間にヘブライ語で書かれていた。
  • 20世紀の前半、ヘブライ語というユダヤ文化の中心地は当時イギリス統治下にあったパレスチナへと移った。Ben-Yehudaはヘブライ語を共通語にしてユダヤ人アイデンティティーの復興を目指し、パレスチナに移住した多くのユダヤ人知識人の一人である。
  • 移民たちがイスラエルへ持ち込んだ言語から語彙を、インド・ヨーロッパ語族から構文を部分借用して、現代ヘブライ語、現代イスラエル・ヘブライ語は新しい形で、そのヘブライ語の歴史の地層に現れた。学者の中には、ヘブライ語は「最早セム語ではない」とする者もいる。

現代ヘブライ語の参考書目 

L. Glinert, The Grammar of Modern Hebrew. Cambridge: 1989.
E. Amir Coffin and S. Bolozky, A reference Grammar of Modern Hebrew. Cambridge: 2005.

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